はじめに — 選挙を「経済データ」で読む
2026年夏、第27回参議院議員通常選挙が実施される。改選議席125議席を巡る各党の争いは、日本の今後6年間の政策方向を決定づける重要な選挙だ。各党は様々な経済政策を掲げているが、その公約は実現可能なのか、データと整合性はあるのか。
本記事では、主要政党(自由民主党、立憲民主党、日本維新の会、国民民主党、公明党、日本共産党、れいわ新選組)の経済政策公約を、マクロ経済データに基づいて検証する。政策の是非を一方的に断じるのではなく、データとの整合性、財源の裏づけ、実現可能性を客観的に分析することが本記事の目的だ。
2026年参院選の経済的文脈
まず、今回の参院選が行われる経済的背景を整理しておこう。
マクロ経済環境
- 名目GDP: 約610兆円(2025年度見込み)
- 実質GDP成長率: 1.0〜1.5%(2025年度見込み)
- 消費者物価指数: 前年比2.5〜3.0%(2025年度平均)
- 完全失業率: 2.4%前後
- 有効求人倍率: 1.25倍前後
- 日経平均株価: 40,000円前後
- ドル円レート: 145〜155円
- 政府債務残高: GDP比約255%
有権者の関心事項
各種世論調査によると、有権者が最も重視する政策課題は以下の通りだ。
- 物価高・生活費対策(約45%)
- 社会保障・年金(約35%)
- 経済成長・賃上げ(約30%)
- 少子化対策(約25%)
- 外交・安全保障(約20%)
物価高対策が最大の関心事項であることは、実質賃金マイナスの長期化が有権者に深刻な影響を与えていることを反映している。
自由民主党の経済政策
主要公約
- 「新しい資本主義」の深化: 賃上げと投資の好循環
- デジタル田園都市国家構想の推進
- GX(グリーントランスフォーメーション)投資: 10年間で150兆円
- 半導体・AI産業への戦略的投資
- 防衛費GDP比2%の着実な実現
- 少子化対策の加速化(こども未来戦略)
データ検証
「賃上げと投資の好循環」について、2024年春闘の賃上げ率5.1%は33年ぶりの高水準だった。しかし、前述の通り実質賃金のプラス転換は実現していない。名目賃金の上昇が物価上昇を安定的に上回るには、中小企業への波及が不可欠だが、中小企業の賃上げ率は大企業の約7割にとどまっている。
GX投資150兆円の内訳は、政府投資20兆円、民間投資130兆円を見込む。しかし、民間投資の130兆円は「期待」に過ぎず、具体的な投資を担保するメカニズムは不十分だ。カーボンプライシング(炭素賦課金、排出権取引)の制度設計が鍵となるが、産業界の抵抗もあり、実効的な水準の設定は政治的に困難だ。
財源の評価
自民党の経済政策は、「成長による税収増」を主な財源として想定している。しかし、名目GDP成長率3%程度を安定的に達成できる保証はなく、成長率が下振れした場合の財源手当てが不明確だ。防衛費増額と少子化対策の二重の支出拡大を、増税なしに実現することの困難さは、数字上明らかである。
立憲民主党の経済政策
主要公約
- 時限的な消費税減税(10%→8%、または5%)
- 給付付き税額控除の導入
- 最低賃金1,500円への引き上げ(2028年目標)
- 非正規雇用の待遇改善(同一労働同一賃金の徹底)
- 教育無償化(高等教育まで)
- 再生可能エネルギー100%を目指す工程表
データ検証
消費税を10%から5%に引き下げた場合、約14兆円の税収減となる。消費税収は社会保障費に充当されているため、代替財源なしに減税を行えば社会保障の持続可能性が揺らぐ。一方、消費税減税のGDP押し上げ効果は、内閣府のモデルで0.3〜0.6%程度と試算されており、景気刺激策としての効果は限定的だ。
最低賃金1,500円の実現性について、2024年の全国加重平均は1,054円。2028年に1,500円を達成するには年率約10%の引き上げが必要だ。急激な最低賃金引き上げは中小企業の廃業を加速させるリスクがある。韓国が2018年に最低賃金を16.4%引き上げた際、若年層の失業率が上昇した例は教訓となる。
財源の評価
消費税減税分の財源として、法人税の累進強化と金融所得課税の強化を掲げているが、試算される税収増は消費税減税の損失を補いきれない。教育無償化のコスト(高等教育まで含めると年間3〜5兆円の追加支出)も含めると、財政バランスの実現は極めて困難だ。
日本維新の会の経済政策
主要公約
- 消費税の地方税化(国税廃止、地方の裁量で税率設定)
- ベーシックインカムの段階的導入
- 規制改革・民営化の推進(医療、教育、農業)
- IR(統合型リゾート)の推進
- 年金制度改革(積立方式への移行検討)
データ検証
消費税の地方税化は、地方の自主財源の拡充という観点では魅力的だが、地域間の税収格差を拡大させるリスクがある。東京都と地方の消費税収には大きな差があり、地方交付税制度との調整なしには、財政力の弱い自治体が深刻な影響を受ける。
ベーシックインカムについて、仮に全国民(1億2,400万人)に月額7万円を支給する場合、年間約104兆円の財源が必要。現在の社会保障給付費(約130兆円)の大部分を置き換える形でも、行政コストの削減分を考慮しても、大幅な追加財源が必要だ。財源の裏づけが最大の課題である。
財源の評価
維新は「身を切る改革」(議員報酬・議員定数の削減)を財源の一部としているが、国会議員の人件費は年間約800億円に過ぎず、兆円規模の政策財源にはなり得ない。規制改革による経済効果は中長期的には期待できるが、即効性は低い。
国民民主党の経済政策
主要公約
- 「手取りを増やす」: 所得税の基礎控除引き上げ(103万円→178万円)
- トリガー条項の凍結解除(ガソリン税減税)
- 電気代・ガス代の補助金継続
- 積極財政路線(プライマリーバランス目標の見直し)
- 教育国債の発行
データ検証
所得税の基礎控除を103万円から178万円に引き上げた場合、年間約7〜8兆円の税収減が見込まれる。これは「103万円の壁」を解消し、労働供給の増加を促す効果が期待されるが、財源の手当てなしには実現困難だ。2024年末の与党との協議では、部分的な控除引き上げ(123万円まで)にとどまった。
トリガー条項の凍結解除は、ガソリン税を1リットルあたり約25円引き下げる措置だ。年間約1.5兆円の減収となるが、自動車利用者の負担軽減効果は明確。ただし、脱炭素政策との整合性が問われる。
財源の評価
国民民主党は積極財政路線を掲げ、教育国債の発行を主張しているが、既にGDP比255%の政府債務を抱える中での追加的な国債発行は、市場の信認を損なうリスクがある。「将来世代への投資」という理論的根拠はあるものの、実現にはより精緻な財政計画が必要だ。
公明党の経済政策
主要公約
- 軽減税率の対象品目拡大
- 児童手当のさらなる拡充
- 中小企業支援の強化
- 住宅取得支援(住宅ローン減税の延長・拡充)
データ検証
児童手当の拡充は少子化対策として一定の効果が期待される。2024年の改正で高校卒業まで延長(第3子以降は月額3万円)されたが、出生率回復への効果は限定的とする研究が多い。海外の事例を見ても、現金給付だけでは出生率の回復は難しく、保育サービスの拡充や働き方改革との組み合わせが不可欠だ。
日本共産党の経済政策
主要公約
- 消費税5%への引き下げ(将来的には廃止)
- 大企業への法人税引き上げ(中小企業は減税)
- 富裕税の導入
- 最低賃金1,500円の即時実現
- 軍事費の削減
データ検証
消費税を5%に引き下げると約14兆円の減収。法人税の引き上げと富裕税で補うとする計画だが、法人税率を現行の23.2%から30%に引き上げても、増収額は約4兆円程度にとどまる。富裕税は資本の海外流出を招くリスクがあり、税収効果には不確実性が大きい。
れいわ新選組の経済政策
主要公約
- 消費税廃止
- 一律10万円の給付金
- 奨学金の債務免除
- 積極的な財政出動(国債発行によるMMT的アプローチ)
データ検証
消費税廃止は約23兆円の税収損失を意味する。一律10万円の給付金は約12.4兆円。合計約35兆円の財源が必要となる。MMT(現代貨幣理論)に基づき「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」との立場から国債発行で賄うとの主張だが、通貨の信認低下によるインフレリスクや円安リスクが懸念される。
日本の経済規模(GDP約600兆円)に対して年間35兆円の追加的な通貨発行は、GDP比約6%に相当し、急激なインフレを引き起こす可能性が高い。MMTの主張する「インフレが問題になるまでは財政出動可能」という理論は、「いつインフレが問題になるか」の予測が困難であるという根本的な弱点がある。
各党公約の総合評価
データに基づいた各党の経済政策を総合的に評価すると、以下の傾向が見える。
共通する課題
- 財源の曖昧さ: 多くの党が、歳出拡大を掲げながら具体的で実現可能な財源を示せていない
- 短期と長期のトレードオフ: 減税・給付金など短期的な痛み止めと、構造改革など長期的な体質改善のバランスが取れていない
- 成長戦略の具体性不足: 「経済成長」を掲げるが、何の産業でどう成長するのかの具体的ロードマップが乏しい
有権者へのメッセージ
選挙の際に重要なのは、各党の公約を「願望」としてではなく、「実現可能性のあるプラン」として評価することだ。以下のチェックリストで公約を検証してほしい。
- その政策の費用(財源)はいくらか?
- 財源は具体的に示されているか?
- その財源は実現可能か?(増税なら政治的に可能か、国債なら市場の信認は維持できるか)
- 政策の効果は定量的に示されているか?
- 副作用やトレードオフは説明されているか?
- 海外の類似政策の実績はどうか?
まとめ — データで投票する
2026年参院選は、物価高、少子化、防衛費、社会保障という日本の構造問題が同時に噴出する中で行われる。各党の経済政策公約をデータで検証すると、いずれの党も完璧な回答を持っているわけではないことが明らかだ。
重要なのは、「何を言っているか」ではなく、「そのために何をするか」「その費用は誰が負担するか」を問うことだ。経済データのリテラシーを持ち、公約をクリティカルに検証する有権者が増えることが、日本の民主主義の質を高める。
データは嘘をつかない。しかし、政治家がデータを都合よく使うことはある。有権者が自らデータにアクセスし、分析する力を持つこと——それが、この連載を通じて伝えたかったメッセージである。


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